赤鬼スタンカさん死去 外国人初の100勝投手 張本氏&王さんが故人偲ぶ

南海(現ソフトバンク)などでプレーし、1964年にシーズンと日本シリーズでMVPに輝いたジョー・スタンカ氏が死去したことが19日、分かった。
オクラホマ農工大(現オクラホマ州立大)からドジャースなどマイナー球団を経て、59年ホワイトソックスで大リーグ昇格。2試合に投げ1勝。鶴岡一人監督が熱望して60年、南海に入団した。
異名は「赤鬼」。1メートル96とも98とも言われる長身から投げ下ろす速球とカーブ、シンカーで大洋(現DeNA)に移籍した66年まで7年間で264試合に投げ外国人投手初の100勝を挙げた。61年、巨人との日本シリーズ第4戦では1点リードの9回2死満塁で追い込んでからの直球を円城寺満球審にボールと判定されたのに激高。
後に逆転サヨナラ負けを喫し「円城寺 あれがボールか 秋の空」と川柳が詠まれ、語り草となった。64年には26勝でリーグMVP。阪神との日本シリーズでも3完封でMVPを受賞した。
▼張本勲氏(東映時代に対戦。スポニチ本紙評論家)懐かしいねえ。87歳か…。
巨漢でね。上から重たいボールを投げてきて、闘争心のある投手だった。一度、大阪球場で乱闘になりそうになったこともある。
私が2安打ぐらいしていて、次に体の近くにボールが来た。文句を言ったら、言い返されて…。野村さんが止めてくれたんで乱闘にはならなかったけど。
気質も日本人のようで、義理人情に厚い男だった。彼が引退した後、鶴岡監督がアメリカに旅行に行った。「スタンカに会いたいと訪れたら、彼は抱きついて大泣きしたと聞いたことがある。」

 
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