元浪商監督の広瀬吉治氏が死去 32度甲子園に出場

高校野球界の名将、浪商(大阪、現在大体大浪商)などで監督を務めた広瀬吉治氏が12日、死去したことが13日、分かった。
その後、法大で優勝、監督としては、53年洲本高(兵庫)を率いたセンバツの決勝で、母校・浪華商を破って、淡路島に優勝旗を届けた。68年から母校の監督に就き、数多くの名選手を輩出。また、大院大でも指揮をとった。
今年の甲子園100回大会を前に、広瀬氏は「わたしは選手のとき、温室の花ではだめだ。月を仰ぎながら、ヘドを吐くほど、風に当たり、雨に打たれ、踏みつけられたもたくましく…、という指導を受けてきました」と振り返っていた。浪商監督だった79年センバツでは、牛島和彦-香川伸行の人気バッテリーを擁し、準優勝を果たした。
厳しい練習としつけで選手を指導したが「野球より人間をつくる」という方針に徹した、高校野球史に残る名監督だった。1924年に創部の浪商は、2年後に大阪代表として第12回全国中等学校優勝大会(現在の夏の選手権大会)に初出場した。春夏合わせて、32度(センバツ19、夏13)の甲子園出場を誇っている。
そのうち優勝はセンバツに3度ある名門。OBには、坂崎一彦、張本勲、尾崎行雄、住友平、高田繁、落語家の二代目桂春団治らがいる。広瀬氏は「わたしは素晴らしい教え子たちに恵まれて幸せでした」と話していた。
甲子園に歴史を刻んだ名監督が、区切りの年に天国へと旅立った。【寺尾博和】◆通夜は13日18時、告別式は14日13時30分から、吹田市桃山台5-3-10、公益社 千里会館電話06・6832・0034。喪主は長男の広瀬吉孝氏。

 
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