【巨人ドラ1高橋優貴の素顔】(下)挫折を繰り返して強くなった

八戸学院大に進学した優貴は、1年春からリーグ戦で起用された。
1年時は怖いもの知らず。打たれても責任は大きくない。だが2年でエースを託され、重責を痛感した。
1、2点差でリードしている後半に腕が振れなくなり、負けた試合が多かった。マウンド上で表情を変えると監督からゲキが飛んだ。厳しい言葉は愛情でもあった。
2年の冬、体が細かった優貴ともう一人の投手を呼び、別室で朝夜の食事を共にした。ベーコン、ハムなどを多く食べさせた。体重は4年間で10キロ増の82キロ。
いい体格になった。だが3年春、優貴が野球を辞めたいと申し出たことがあった。試合に勝てず情けなくなり、チームに貢献できないことが苦しかった。
正村監督は「自分で勝手に決めろ」と告げた。だが、本音ではなかった。非凡な投手と分かっていたからだ。
「コーチ、同級生には(フォローを)「頼むわ」とお願いした。あんないいものを持って20歳まで野球を一生懸命やってたのに…。プロじゃなくても、社会人でいいところへ入れる。
捨てる必要はないと思った 優貴は1週間、野球から離れ、両親とも話し合った。毎日、同級生が声をかけてくれた。「やっぱり野球が大好きだと。」
いろいろな道があったけど、昔から両親に「やったことは最後までやってほしい」と言われていた。周りに支えられっぱなしだなと思います。一つの分岐点でした 帰ってきた優貴から弱気は消えていた。
4年春、以前から課題だったテイクバックを小さくするフォームへと改良。スクリューの精度も上がり、決め球として使えるようになった。リーグ新記録の301奪三振をマーク。
結果を残し、アマ野球生活を終えた。涙はなかった。
「高3の夏に(西東京大会決勝で)サヨナラ負けして、ずっと泣いていた。その時に大学の最後は泣かないと決めていた。だからずっと努力していた。」
悔しさは人一倍ある。次に生かしていかないといけない。支えてもらった分、結果で恩返ししたいなと思います 挫折を繰り返して強くなった優貴。
次の舞台は東京ドームへと移った。(玉寄 穂波)=終わり=。

 
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