内田雅也が行く 猛虎の地(22)大阪・なんば「ホテル一栄」

◇「黒幕」に失望、不眠の朝  大阪ミナミの真ん中、なんば駅直結のホテル一栄は終戦の1945(昭和20)年に料亭旅館として創業した老舗である。
同日朝、一枝が評論家として所属するスポーツ紙に「100%ない」と就任拒否が報じられていた。ホテル一栄は一枝の実家。19日夕に入り、兄と囲碁や食事を楽しむと取り繕っていた。
目は赤く、疲れ切っていた。さらに同日昼発売の夕刊紙には一枝の言葉で拒否宣言にいたった内幕を暴露。球団外部の人間、黒幕の介在が白日の下にさらされたのだった。
この89年の監督問題は9月4日夜、オーナー・久万俊二郎(電鉄本社社長)が神戸・御影の自宅前で監督・村山実の続投方針を「白紙」と語ったことで火がついた。村山解任への動きは水面下、黒幕を通じて行われ、一枝へ内々に打診・受諾と進んでいた。当時、阪神担当2年目の若手だった。
白紙発言の後、数日間はパリにいた。フランスで初開催のヨーロッパ野球選手権の取材。この年6月からパリで野球指導を始めた吉田義男について回った。
帰国した12日夜から13日早朝まで芦屋で友人と飲んだ。駅売店で見た一部他紙に「阪神新監督に一枝」と大見出し。二日酔いの目が覚めた。
デスクの電話で西宮市若草町の一枝宅に向かった。鳴尾町の自宅から近く、以後張り付いた。17日、甲子園でのヤクルト戦終了後、村山は「今季限りでユニホームを脱ぐ」と辞任を表明した。
水面下の動きを知った村山は試合前、球団代表・高田順弘に事情説明を求め、その返答を辞任勧告と受け取った。同日深夜、村山辞意を伝えた時、一枝は「えっ!?」と絶句し、表情をこわばらせた。後に「あの夜から一睡もできなくなった」と明かす。
「僕が手を下したわけではないが(報道で)村山さんを追い詰めたのは確か」と心を痛めていた。連日の取材攻勢に「これだけマークされては」とめいっていた。早朝から深夜まで張り付いたわが心も痛んだ。
腹減ったやろ。ローソンに行こうと誘われ、つい乗った。この間に脱出したと後から聞いた。
一枝は近くのすし店で待つ同社幹部に就任拒否を相談し、翌19日深夜、黒幕に伝えられた。
何と愚かなことかと失望と怒りをにじませた。拒否会見の20日も一枝はホテル一栄に泊まった。張り込みが解けた自宅で妻が「あの人らしくていい」、大学生の長女が「私も辞める気がしていた」と少し笑ったのが救いだった。

 
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