ルー・ゲーリッグら全米軍を本気にさせた1931年、日米野球の早大

【ネット裏 越智正典】この秋、野球殿堂博物館で「日米野球110年」が開かれた。
昔、放送局に入局出来たときに改めて先輩に教わりました。ベーブ・ルースは映画出演の契約があって来日出来なかったそうですが、ルー・ゲーリッグら全米軍が読売新聞社の招きで来日、1931年11月7日、立教大が対戦した。0対7。
第2戦、早大がフランク・オドールの世話で来日した全米軍に立ち向かった。「JOAK」(NHK)がラジオ中継。実況アナウンサーは、29年春の早慶戦の死闘を「神宮球場、ねぐらに急ぐカラスが三羽」と伝えた、松内則三アナウンサー。
だれもが勝てないだろうと思っていた。ところが早大が左腕ラリー・フレンチ(この年15勝13敗、通算197勝)を打ち込み、6回を終わって1対1。鉄腕伊達正男(市岡中)の豪球が唸る。
7回、伊達が二塁打、三原脩(高松中)が三遊間安打、杉田屋守(柳井中)四球。クリスチャンであった杉田屋は「練習時のノックの音は教会の鐘の音」と自分にいい聞かせていた。松内が「満場騒然」と叫ぶ。
夫馬勇(愛知一中)が二塁打。早大5対1。全米軍はルー・ゲーリッグをマウンドに送った。
ご愛嬌。チェンジになってベンチに戻ると、名遊撃手“ラビット”モランビルが叫んだ。「われわれは、日本の大学チームに負けるために、わざわざ太平洋を渡って来たのではない!」 その7回裏、全米軍は猛攻。
あっという間に7点を叩き出した。全米軍8対5。早大5対8。
8回、三振奪取王7回のレフティ・グローブをマウンドに送った。必死の救援である。左腕から快速球とドロップを投げ込む。
松内が叫んだ。「グローブ投手、投げました。あっ! 球は見えません」。
宮脇環(鳥取一中)三振。ファンは沸きに沸いた。
のちに三原に教わりに行った。「シュルシュルとボールの音が聞こえたと思うとストライク。本当に球は見えませんでしたよ グローブは連続6人を三振に。」
21球。あっという間であった。この熱戦からルース来日の熱望が高まり、34年、読売新聞社の招きで第2回日米野球が実現し、日本に職業野球が誕生することになるのである。
秋、私は西宮市松籟荘に伊達を訪ねた。伊達はまだバットを磨いていた。バットはピカピカに光っていた…。

 
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