巨人新助っ人クックの「24」は由緒ある番号 過去には宮田、中畑、高橋前監督ら

巨人が29日、新外国人選手として、マリナーズからFAとなっていたライアン・クック投手の獲得を発表した。
チームでは過去には6選手が目立つ。ここで16選手の実績を振り返ってみたい。※()内は背番号24を付けた年。
○田代須恵雄(1937~39年) 37年秋、38年春秋で3シーズンでプレー。通算19試合出場、打率.250、0本塁打0打点だった。
41年に巨人入り。
47年はわずか1試合登板、48年は大阪タイガースへ移籍した。通算3試合登板、0勝0敗で防御率9.00。○関口清治(1948年) 巨人ではわずか1年だけプレー。
48年は肩の故障で制限選手となった。社会人・星野組で都市対抗優勝を飾り、50年は西日本、51年から西鉄でプレー。西鉄黄金期の5番打者を務めた。
プロ通算15年間で1532試合出場、打率.264、1298安打166本塁打731打点を記録した。○樋笠一夫(1951~57年) 1950年に広島でプレーし、51年から巨人へ。代打として存在感を発揮し、51年から巨人へ。代打として存在感を発揮し、51年から巨人へ。
プロ通算8年間で548試合出場、打率.229、315安打54本塁打194打点。○黒田能弘(1959~61年) 1959年ドラフト外で巨人入り。1軍では60年に1試合、2イニングを投げたのみだった。
62年にプロ入り。
65年には救援としてリーグ最多69試合に登板することが多かったことから「8時半の男」がニックネームとなった。
通算8年間で267試合登板、45勝30敗、防御率2.63。現役引退後は巨人、日本ハム、西武などで投手コーチを歴任した。○若生忠泰(1970年) 1955年に西鉄でプロ入りし、先発として活躍。
下手投げから変化球を投げる「ロカビリー投法」で一世を風靡した。69年から巨人でプレー。69年から巨人でプレー。69年から巨人でプレー。
70年は2試合登板、0勝0敗だった。同年限りで現役引退。プロ通算16年間で578試合登板、0勝0敗だった。同年限りで現役引退。
○広野功(1971年) 1965年ドラフト3位で中日入り。68年から巨人でプレーした。主にON砲の後を打つ5番として活躍した。
プロ通算9年間で689試合出場、打率.239、440安打、78本塁打、264打点。引退後は中日、ロッテ、西武、楽天などでコーチ、フロントを務める。○小坂敏彦(1972年) 1969年ドラフト1位で早大から巨人入り。
70年1勝、71年2勝、71年2勝、72年4勝と勝ち星を伸ばしたが、73年の春季キャンプ前に高橋善正との交換トレードで日拓へトレード移籍した。プロ通算7年間で105試合登板、9勝8敗2セーブ、防御率4.74。
74年から背番号24に変更し、74年から背番号24に変更し、74年は6勝、75年オフに太平洋に移籍。プロ通算6年間で103試合登板、13勝31敗2セーブ、防御率4.33。

 
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