不変と永遠の輝き――甲子園球場の初日の出

【内田雅也の広角追球】三塁側アルプススタンドの後方、黄金色の光が差した。
上空には月が残っていた。やや太く、少しだけ傾いてはいるが、姿形は「受け月」だった。受け皿、杯のような形から、願い事がこぼれずにかなうという。
伊集院静の直木賞受賞作「受け月」にある。祈る気持ちで初茜の空を見る。静寂のなか、時折鳥たちの声がする。
マウンド上にはしめ飾りが立てられていた。甲子園は厳粛な空気のなか、新年を迎えた。スコアボードは工事中だ。
大型スクリーン「オーロラビジョン」を付け替えている。3つに分かれていた画面の区切りをなくし1面化する。広さが1・6倍になり、より迫力ある映像を映し出せるようになるそうだ。
スコアボードは現在、グラウンドを守る阪神園芸の甲子園施設部長、金沢健児の原点と言える場所だ。高校生だった1983(昭和58)年夏、アルバイトとして、まだ手書きだったスコアボードで得点掲示などを手伝った。金沢は夏の高校野球が100回大会の節目を迎えた昨年夏、「いつもと同じ気持ち、普段通り臨みますと話していた。」
「99回も100回も101回も変わりません。選手にとっては、何回大会だろうが、変わらぬ大切な試合です。常に最高の状態にするのが僕たちの仕事ですから」 いつも通り、普段通りを大切にする。
職人気質を見るようである。甲子園球場で初日の出を拝み、撮影するようになって7年目を迎える。その美しさに身が引き締まる。
それはこの大球場ができた当時から変わらぬ風景なのだろう。甲子園球場が開場となった1924(大正13)年8月1日の空も<素晴らしく美しかった>そうだ。<すがすがしい朝を迎えた>と、球場建設を決断した阪神電鉄専務(当時)、三崎省三の四男・悦治が書いた小説「甲子(こうし)の歳」(ジュンク堂書店)にある。
当日は午前7時から「甲子園大運動場開き」が行われた。三崎は一塁側内野スタンド最上段に立ち、朝日を浴びる球場を眺めたという。同じ場所から見る95年目の朝も、変わらぬ美しさに満ちていた。
平成最後の初日の出である。阪神淡路、東日本という2度の大震災など、幾度も災害にあい、乗り越えてきた平成の時代である。
今年、阪神タイガースは新監督・矢野燿大を迎え、最下位からの再出発である。一からのスタートである。一からのスタートである。一からのスタートである。一からのスタートである。
不変と永遠の輝きを浴びながら、すべての野球人の幸福を思い、祈った。=敬称略= (編集委員) ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大。
85年入社。
和中桐蔭野球部OB会関西支部長。

 
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