ロッテ・ドラ5中村稔、最高峰でも左手に「亜細亜ボール」胸には「感謝の心」

【19年版球界新士録 ロッテ・ドラフト5位 中村稔弥投手】 中村稔が生まれ育ったのは長崎県佐世保市。
体幹の強さは玄界灘が育ててくれた。長崎・清峰では3年夏の長崎大会2回戦(対島原工)で海星・酒井圭一(元ヤクルト)の大会記録18奪三振に肩を並べたが、3回戦止まり。甲子園は遠い夢だった。
才能を開花させたのは亜大3年で出合った一冊の本。課題だったメンタル面の成長が、契機だった。
亜大・生田勉監督から薦められた本の「ありがとう 感謝します」の一節が心に響いた。蛍光マーカーで線を引き、登板前に必ず、読んだ。3年秋は東都リーグで防御率1位(1・22)、4年春も自己最多5勝。
「あれで変わったと思います」と野球人生の転機を振り返る。直球は140キロ台中盤だが、それをカバーするために大学時代はリリースポイントが見えづらい投球フォーム、伝統のツーシーム「亜細亜ボール」も習得し、即戦力左腕と期待される存在に成長できた。「1軍のトップレベルの中で戦いたいですと自信をみなぎらせている。

 
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