元カープ選手から理学療法士 望月一さん、故郷で未来のアスリート支える 

静岡市出身で、広島などで活躍した元プロ野球選手の望月一さん(50)=静岡高出=が、今月から弟・大介さん(45)が経営する静岡市内の「はとり接骨院」で働いている。
―現役生活11年。昨季でプロ野球の世界から離れた。
「広島で10年。ダイエーで1年。あっという間だった。」
そのあとも、プロ野球の世界でお世話になって。やっと社会人として勉強を始めたってところかな ―広島では、主に中継ぎで活躍してプロ通算21勝をマーク。引退後に理学療法士(PT)の資格を取った。
どんな経緯で? 「退団する際、ダイエーから打撃投手の話をもらっていたが、肩やひじを壊したら長く続けられないし、どうしようか悩んでいた。そんな時、広島時代にお世話になった病院の院長にあいさつに行ってね。リハビリ担当の人がお年寄りとのんびり散歩しながら、働いているのを見て、「これだって思った。」
「そこから理学療法士の仕事に興味を持った。やってみたら、楽じゃなかったけどね(笑い)」。―引退してから大学へ。
「埼玉で1年間、昼間は塾に通って、夕方5時から夜の11時半までパチンコ店でアルバイト。翌年に国際医療福祉大の保健学部理学療法学科に合格して4年通った。入学金や学費は貯金を切り崩し、不足した分は奨学金で。」
まだ払い終わってないんだ。あと10年、60歳まで残っている ―当時は収入もなく、大変だったのでは? 「全然。引退時、長男は3歳。」
現役時代より一緒にいられる時間が増えて逆にうれしかった。幼稚園の役員もやったし、金銭面は不思議となんとかなるだろって思っていた ―その後、プロ野球界に復帰してPTとして広島で5年。ロッテで11年働いた。
「選手の痛みの程度をチェックして、完治させて1軍に戻すのが仕事。まずは、病院に行くのか、行かずに治すのかを判断しないといけない。主に、2軍担当が多かったからリハビリやマッサージだけではなく、時にはノックや打撃投手もやった」。
―1軍は登録の問題があるから大変。抹消の締め切りが毎日午後3時半ごろ。
使えない選手は2軍と入れ替えないといけないから、その判断を即座にしないといけないから責任が重い。ナイター翌日のデーゲームでは、夜中2時に家を出ることもよくあった ―自身も2度、ひじの手術をした。「プロ2年目と5年目。」
今なら内視鏡で簡単に除去できる手術だけど、メスを入れた。当時は、あまり例がなかった。その後のリハビリも今とは比較できない。
温水でひじを温めて、自分の感覚で痛くないから投げてみる、みたいな。今では考えられないね ―静岡に戻ってきた経緯は。「昨季でロッテを退団して、弟が静岡で接骨院を開業していたから手伝うかって話になって、今月5日から働いている。」
自宅は川越(埼玉)で、今は(静岡市内の)実家に居候中。電気治療の器具をつけたり、リハビリの手伝いやストレッチの仕方を教えたり ―今後は何をやりたい? 「投げられなくなっている中学生や高校生がいたら、見てあげたい。痛みには原因がある。」
どこが弱くて痛みが出ているのか。どんなトレーニング方法でどこを鍛えればいいのか。長くプロの世界で故障者を見ていたし、メンタル面を含めて指摘してあげられたらいいかな。
もちろん、野球選手だけでなく、ほかのスポーツ選手も見ていきたい。自分の勉強にもなる 計16年、多くのプロ野球支えてきた望月さん。今後は故郷で故障に悩む未来のアスリートたちの支えになるべく、新たな道を歩む。
◆理学療法士(PT)とは physical therapist=フィジカルセラピストの略。各個人の身体機能や痛みの評価、分析をした上で、基本動作能力の改善、運動療法による正しい動きの学習、始動、痛みやまひなどの回復に対する物理療法、自立した日常生活を支援するリハビリテーションの専門職種。◆望月 一(もちづき・はじめ)1968年4月26日、静岡市生まれ。
50歳。小2から静岡リトルリーグで野球を始め、服織中から静岡高に進学。
92年のヤクルト戦では延長11回に登板、1イニングを無失点に抑えその裏、自身が押し出しを選んでサヨナラ勝ちし、プロ初勝利をマークした。96年に自由契約となり、同年にダイエー(現ソフトバンク)にテスト入団。97年に現役引退。
プロ通算21勝19敗7セーブ。184センチ、98キロ。右投右打。
家族は夫人と長男。

 
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