清宮、吉田輝星らを陰から支える日本ハムの名脇役

プロ野球日本ハムに、東北から巣立った名脇役がいる。
明日2月1日には12球団が一斉にキャンプインする。◇   ◇   ◇選手が投じるキャッチボールの先で、「パンッと乾いた気持ちの良い捕球音。」
報道陣と対話する清宮や吉田輝の斜め後ろで、優しく見守る立ち居振る舞い。寺嶋広報 去年の1月に入社させていただいて、最初に出会ったのが清宮。
ストレッチを含めて、絶対にルーティンを崩さない。1軍でも活躍できるのは当然だけれど、やはりうれしかった。吉田もファンや報道陣との話を聞いていても18歳には思えないほどしっかりしている。
2人ともプロ意識が、すでに備わっている。僕はサポートが役目ですが、通訳としても広報としても、まだまだガキだなと思っています。青森山田中3年時、米国遠征が世界観を変えた。
イチローや松井秀喜らのメジャーリーグキャンプを観戦。米国の高校で練習参加し、授業も体験した。「この環境にもっといたいなと思ったのがきっかけです」。
高校卒業後は米ニューヨーク州の大学に進学し、野球を続けた。寺嶋 英語がまったく話せない状態で米国に行ったので、最初は大変でした。周りの人たちが僕の面倒を見てくれたし、ゆっくり会話してくれたり。
みんなに助けられた4年間。次は、野球の現場にいながら、僕が気を配って恩返しできる仕事をすることが夢になりました。16年7月に日本で開催された日米大学野球選手権前には、大学日本代表に選出された青森山田の同期、日大・京田陽太内野手(24=現中日)とも連絡を取り合った。
米国代表の来日メンバーに米国内で戦った選手がいたため、プレーの特徴などを助言。高校時代に苦楽をともにした仲間の活躍にも刺激を受けた。当初は米国に残っての就職を試みたが、トランプ政権に代わり、外国人の労働制限などもあって断念。
セントボナベンチャー大卒業後は、日本のプロ野球データ会社「DELTA(デルタ)」に入社した。だが約半年後、夢実現へのきっかけに出合った。17年11月、日刊スポーツに掲載されていた「日本ハム 通訳募集」の記事。
即応募し、所属企業の後押しも受けて、18年1月に日本ハムへの入社を果たした。寺嶋 苦労はないですね。日本シリーズに進出できなかった悔しさはありましたが、喜びもたくさんあります。
僕は主に2軍なので、1軍に上がって活躍してくれることが最高ですね。一番の思い出はロドリゲスが宮崎で初勝利を挙げたこと。ヒーローインタビューでお立ち台に立った時は、ずっと一緒にやってきて良かったなと思えました。
彼が日本に来た時に、僕が米国に行った時と同じ状況だなと感じたんです。言葉も通じず、結果も出なくて引きこもり気味だった新外国人ブライアン・ロドリゲス投手(27=ドミニカ共和国)と私生活から一緒に過ごした。練習中はキャッチボールの相手役を務め、ストレッチなどをしながら悩み相談にも乗った。
休日前夜には、2軍施設のある千葉・鎌ケ谷から2人で約1時間電車に乗り都内へ。食事をしながら息抜きにも付き合った。昨年8月28日、宮崎開催のオリックス戦で5回2安打無失点の初勝利。
偶然にも1軍昇格を命じられた直後の大きなプレゼントだった。今季も吉田輝ら新人選手を中心に、1軍昇格を命じられた直後の大きなプレゼントだった。今季も吉田輝ら新人選手を中心に、1軍での活躍に挑む若手選手を陰から支える。
寺嶋 清宮や吉田はすごすぎますが、僕も少しでも貢献できたらうれしいです。
選手らも寺嶋広報に信頼を寄せる。清宮は「同期として親しみもあるし、頼りがいもある。グラウンド内外でフレンドリーにコミュニケーションをとってくれて、一緒にいて楽しいです」。
春季キャンプ地アリゾナ州でも行動をともにし「ニューヨークに住んでいた経験も生かして、言葉で助けてくれるだけでなく、アテンドしてくれたりもします」。野球の面でもキャッチボールなどで補佐してくれる姿に「そういう広報さんはなかなかいないと思うので、すごくありがたい」と感謝した。【鎌田直秀】◆寺嶋大賜(てらしま・たいし)1994年(平6)6月14日、青森・平内町生まれ。
青森山田中を経て、青森山田では中日京田や18年阪神ドラフト3位木浪聖也内野手(24)と同期。卒業後は米ニューヨーク州のハーキマー州立大(2年制)に進学。3年からはセントボナベンチャー大に編入し、外野手として活躍。
日本ハムには18年1月入社。チーム統括本部で通訳兼広報。右投げ左打ち。
現役時代は167センチ、80キロ。現在は70キロ前後。家族は両親と兄、姉。

 
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