中日・谷元が味わった“どん底” 復活を期し、キャンプに持ち込んだ「過去の自分」

復活を期し、沖縄に持ち込んだのは「過去の自分」だった。
特に昨季は登板8試合にとどまり、5月中旬に2軍落ちしてから、一度も1軍のマウンドに立つことはなかった。「去年1年間は日本ハムの時の良かったものは良かったものと割り切り、中日に来てから全く投球映像を見なかった パ・リーグからの移籍。元々はフライアウトを打たせるのが特徴だったが「セ・リーグの野球に合わせようと、ゴロを打たせようと背伸びし過ぎた」と悔恨する。
その結果、スピードを追い求め、次第にフォームを崩していった。昨夏は2軍でストライクが入らず「イップスかと思った」とどん底を味わった。「過去の自分にとらわれないようにと思っていたけど、悠長なことを言ってられない 沖縄へ持ち込んだのは日本ハム時代の14、15年の2年分の投球映像。
昨季の投球フォームと見比べ「同じ感覚で投げていたつもりが違った」とがくぜんとした。昨年の自分はセットポジションの際、右足に体重を乗せようとして左肩が上がり、担ぐような投げ方になっていた。そうなると、体の軸から腕が遠回りに出るためリリースの際に力が抜けてしまい、コントロールも悪くなるという。
「速い球を投げようという意識が過剰に働いた」と分析する。
沖縄でのブルペンでは「だいぶ兆しが見えて良いんじゃないかな」と手応えは良好だ。「体のどこも問題が無いと昨年は11、12月も休まず練習に取り組んだことも功を奏した。復活を期す理由がもう一つある。
日本ハム時代から現在まで毎年、自主トレをともに行う間柄。細かな技術のアドバイスを受けるよりも「賢介さんがセカンドを守っていて“おまえなら大丈夫”と言われるのがうれしかった」と振り返る。
16年の広島との日本シリーズでは、王手をかけた第6戦の9回に登板。田中が二塁を守る中、広島打線を封じ、日本一の胴上げ投手となった。だからこそ「日本シリーズでの対戦が自分にとっても賢介さんにとっても一番いい終わり方」と願う。
そのためにも「1年間、与えられたポジションを全うしたい」と今季こそブルペンの屋台骨となる覚悟だ。プロ11年目。チームの投手陣でも山井、松坂に続き、吉見と並んで3番目の年長者。
同学年の浅尾(現スカウト)が昨季、現役を退くのも目の当たりにした。成績を残さなければ後がない。危機感、そして秋にある先輩との頂上決戦を夢見て、タニモンの復活イヤーが幕を開ける。

 
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