天国のお父さん、見ていますか? ロッテ・中臺打撃投手はNPBで腕を振り続ける

【球界ここだけの話】2月の沖縄・石垣島。
高校時代は甲子園優勝経験のある名門、銚子商(千葉)でプレーしたが、公式戦登板は1度だけ。最後の2年間はほとんどベンチを外れた。
「本当に何の実績も残せなかった」と振り返る学生時代。企業チームからの声もかからず、一般就職し、唯一誘ってくれた埼玉の硬式野球チーム・新波で1年間プレーした。だが、「やっぱりプロ野球選手になりたいという思いがあった」。
ダメだったらあきらめる。2年という期限を決めて、2017年1月、四国アイランドリーグplusの徳島にテスト入団した。目標のNPB入りへ、いざ歩みを進めようと思った矢先、開幕直前の3月に父・●(=徳の心の上に一)和(のりかず)さんが急逝した。
享年50歳だった。キックボクシングの選手だった父。野球経験はなかったが、中臺が中学を卒業するまで自主練習に付き合ってくれた。
朝は6時からキャッチボール、仕事終わりの夕方は庭にティーネットを手作りして打撃練習。口には出さなかったが「やるからにはプロ野球へ」が2人の“約束”だった。しかし、環境の厳しい独立リーグ。
給料はシーズン中のみで、月給は手取りで10万円程度、居酒屋「おきらく酒場ひろと」でアルバイトをしながら生計を立てていた。父を失った家庭を心配し、中臺は「このまま野球を続けていていいのか」と思い悩んだ。背中を押してくれたのは、家族だった。
母から「2年間やると決めたならやり通しなさい。お父さんは、野球をやっている姿を見るのを一番楽しみにしていた」と声をかけられた。「ありがたかったですね。
ここまで野球をさせてもらったから、道が開けた。だから、しっかり親孝行しないと。父がいない分、家族を、母を少しでも楽にできるように、長く続けたいです 独立リーグで期限とした2年のプレーを終えると、待っていたのは、小さい頃から球場に応援へ通い続けた地元球団・ロッテへの入団だった。
「プロ野球選手にはなれなかったけど、間近で携われる仕事に就けたよ、と父に報告したい。僕、野球めっちゃ好きなんですよ。だから今は楽しくてしようがない。」
「自分が投げた選手が試合で打ってくれたらうれしいし、やりがいがある。チームの優勝のために、少しでも貢献できればそれが一番」。お世話になった独立リーグ、家族、そしてロッテへの感謝を胸に、中臺はきょうも腕を振る。

 
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