球界大御所がOP戦勝ち星無しの阪神に喝!「必要なのは我慢と教育と練習」

阪神が今だにオープン戦での勝ち星がない。
しかも内容が悪かった。ローテー入りが期待されていた望月が先発、最速154キロはマークしたが、大事な局面での制球ミスが目立ち7失点と炎上した。1回に先制点を許した場面も一死二、三塁から新外国人のブラッシュに対してカウントを0-2と追い込んでおきながらフォークが甘く入って痛打された。
“頭”で防げる失点だった。加えてバッテリーは196センチ、106キロの巨漢のブラッシュに無警戒で三盗され、一、三塁とされたから足でひっかき回されて失点、傷口を広げた。本来、矢野監督がやるべき野球を楽天にやられた。
矢野監督は、4タコの2三振。若手のアピールの場は、4タコの2三振。若手のアピールの場は、糸井、福留、鳥谷ら主力を9、10日の甲子園でのオープン戦に備えて居残りさせて若手主体の打線を組んだが、楽天のチームの仕上がりを目立たせる機会になっただけだった。
スポーツマスコミの報道によると、矢野監督は「寂しいね」と嘆いたという。この時期に経験が必要なはずの新外国人のブラッシュは3安打4打点と大暴れした。
ただでさえ3月の試合数が少ない阪神においてこのあたりの起用意図もよくわからない。 倉敷は2003年にチームを優勝に導いた故・星野仙一氏の故郷である。星野氏は4年連続最下位だった阪神の監督を引き受けた初年度となる2002年のオープン戦では「負け癖を取っ払って勝ちにいく」と大号令をかけ、ベテランや外国人選手にも特別扱いせずに本番さながらの選手起用をして15勝3敗2分で“優勝”した。
その勢いのまま開幕から7連勝。結果的にチームに悔しさを植え付けて翌年の優勝に向けての下地は作った。オープン戦の成績とレギュラーシーズンの成績に正しい因果関係はないが、オープン戦最下位のチームが優勝したケースは、ここ10年では2008年の巨人くらいしかない。
おそらく故・星野氏は最下位で澱んだ“空気”を変えたかったのだ。矢野監督は、選手の立場で、そういう“星野式の勝利マネジメント”を見てきたはずなのだが、最下位で澱んだ“空気”を変えたかったのだ。

 
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