/41 第82回大会(2010年) 沖縄勢節目の50年、興南V

1960(昭和35)年に那覇が沖縄県勢として初めてセンバツに出場してから半世紀。
ドラマは十二回表、興南の攻撃で起きた。1死満塁で打者は途中出場の安慶名(あげな)舜外野手。打球は本塁併殺狙いで前進守備を敷いていた三塁の横尾俊建内野手(日本ハム)の前に転がった。
横尾内野手は捕球した瞬間、荒れたグラウンドに足を滑らせ体勢が崩れた。懸命な本塁への送球はワンバウンドし、鈴木貴弘捕手のミットに収まらず転々(記録は三塁手の失策)その間に2人の走者が生還した。
興南は攻撃を続け、この回一挙5点。その裏を左腕・島袋洋奨(ようすけ)投手(ソフトバンク)が無得点に抑えた。日大三の強力打線に2本塁打を浴びながら、198球を投げ抜き、大一番をものにした。
68(昭和43)年夏の甲子園で、主将と4番打者を務め、4強入りしている我喜屋優監督は試合後、「(選手には)絶対チャンスは来るから辛抱して待てと言い聞かせたと語った。」

 
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