“原田平安”放つ魅力 監督と同級「応援する会」炭谷さん語る /京都

<センバツ2019>  就任26年目で龍谷大平安の甲子園通算101勝のうち28勝を指揮した原田英彦監督(58)。
一度はその門をくぐったものの現実は厳しく、1年の後半からは当時常設だった応援団に入ったので、93年に監督をやると聞いた時は本当にうれしかったと語る。
チームは75年以降、2回しか甲子園出場がなかった低迷期の最中。15人程度の同級生が自然発生的に集まり、練習環境の改善なども含め、口は出さずに支援するようになった。「原田監督は野球がうまくても、人間的にだめな選手は使わない。」
「末永く野球ができるようきっちり教えているのがいい」。97年春、監督としての甲子園初出場を機に、同級生約30人が世話人となり正式に会が発足。炭谷さんは急きょ結成された応援団の指導もした。
2勝して復活ののろしをあげたこのセンバツを含め、「原田平安は今回で18回目の甲子園。甲子園は、応援する会の同窓会場になっている。「20年以上前に月曜の練習を休みにし、水泳やエアロビを取り組んでいる。」
選手との接し方も変え、結果を残しているのは立派 だが、皮肉なことに侍ジャパンの経験もある炭谷さんの長男、銀仁朗捕手(31)は平安時代、甲子園の土を踏めなかった。「(銀仁朗捕手(31)は平安時代、甲子園の土を踏めなかった。「(銀仁朗捕手(31)は平安時代、甲子園の土を踏めなかった。」
ちなみにグータッチやチーム名に「スピリット」という言葉をつなげ始めたのは平安の方が先という。龍谷大平安ボールパーク(京都市伏見区)では、グラウンド周辺の簡易屋根の取り付けや芝刈りなども応援する会が買って出た。なぜそこまで。
「みんな格好いい平安と平安の野球が大好きなんです。その中心に原田監督がいる、こんな楽しいことはないじゃないですか」〔京都版〕。

 
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