/55止 第83、84回大会(2011、12年) 東日本大震災を乗り越えて

2011(平成23)年3月11日、東日本大震災が列島を襲った。
同大会は楽器による鳴り物の応援を自粛し、開会式もCDの演奏でセンターからの行進だけ。また、東北(宮城)をはじめ被災地の4校は応援団の派遣に支障が出たため、兵庫県内17校の野球部員が友情応援した。抽選会に出席できず1回戦最終試合に組み込まれた東北は、大垣日大(岐阜)に0-7で敗退。
二回にチーム初安打を放った斎藤圭吾内野手は、震災で母を亡くした中学時代の友人から激励されたことを明かし「「宮城のために全力を出し切った。甲子園は素晴らしい場所だったとメールしたいと語った。津波で3000人以上が死亡した宮城県石巻市にある石巻工。」
部員の7割が被災しながら11年秋の県大会で準優勝し、東北地区大会に出場した。「災害に屈せず、被災に打ちひしがれる地域を励まし続けたなどの理由で翌12(平成24)年の第84回選抜大会に21世紀枠で選出され、初出場した。「災害に屈せず、被災に打ちひしがれる地域を励まし続けたなどの理由で翌12(平成24)年の第84回選抜大会に出場した。」
開会式で選手宣誓した阿部翔人(しょうと)主将は「応援してくれた方に恩返しができなくて悔しい」と涙を浮かべた。     ◇ 平成最後のセンバツが始まる。球児のひたむきさは平成から次の時代へと引き継がれる。

 
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